作品感想&紹介

『天穂のサクナヒメ』のストーリーに涙

2020年11月20日、任天堂SwitchとPS4で発売された『天穂のサクナヒメ』が楽しくておススメです。
稲作とアクションの組み合わせというだけでも、
なかなか興味がそそられますが、ストーリーも結構ぐっときます。
涙もろいいぇんは、度々涙しています。
少しストーリーについて触れて、
購入を考えている人の背中を押したいと思います!

アクションは苦手なんだよなあ…

いぇん

難易度を易(イージー)にしてサクッと進めましょう!!

ものつくり系は飽きちゃうんだよな…
同じことの繰り返しで。

いぇん

毎年の気象、土壌、種籾の状況が違うから、
同じことの繰り返しをしたいけど出来ないのが面白いところ!

内容に触れるような部分もありますので、閲覧にはご注意ください!

天穂(てんすい)のサクナヒメとは!

さくっとトレーラー動画をどうぞ!

ちょ、えっ、そんな話になるの……!?
(トレーラーにネタバレされて震える)

いぇんも絶賛プレイ中で、
まだ稲作も5年目で試行錯誤している段階です。
稲作アクションという聞いたことのないジャンルですが、
プレイするとしっくりきます。
この秋、大本命だったゼルダ無双をやれないくらいハマりました。
米農家さんにやはりありがとうを伝えたい気持ちが湧き上がってきます。

アクションパートは必須なのですが、
苦手な方は難易度設定を下げてプレイすることができます。
稲作パートにのめり込むも、アクションパートに熱を上げるのも、
プレイヤーの自由です。

ぐっとくるポイントをご紹介!

出来上がった白米に涙

米を作るからには勿論食べるのですが、出来上がった白米に感動します。
キャラクター全員で食事をするシーンがあるのですが、
真っ白な米をお腹いっぱい食べてる様子はなんだかこちらまで幸せですし、
今年はいい仕事したな…。と主人公目線になってしまいます。
そしてご飯、夕餉(ゆうげ)のメニューが本当に美味しそう。
ゲームの当初は、どんぐり焼いて食べたりして、
品数も水と一品くらいしかないのですが、
アクションパートで探索範囲を進めるごとに、
食べられる料理が増えて、囲炉裏の周りが賑やかになっていきます。
キャラクター達をお腹いっぱい食べさせたい!
いつの間にかそんな気持ちになってプレイしてしまいます。

田植え唄に涙

トレーラー冒頭にもありましたが田植えの時に歌ううたです。
キャラクターは当初全員が赤の他人であり、
仲間というほどの連帯感はなく、
皆それぞれ腹に一物抱えているような人物たちです。
田植えをすることになるのも皆最初は不本意で、
しんどくて意義の感じられない作業に、
気持ちがいら立って喧嘩したり、怒鳴ったり……。
そんな場を収めたのが田植え唄です。
以下ゲーム動画が出ます。
良い唄なので聞いていただきたいですが、
ネタバレになるので自己責任でご視聴ください。

百姓仕事とは喜びに辿りつくまでが、長く険しいもの。
話し込むとついつい不平を口にし、気がめいってしまう。
そこで先人たちは唄うことにしたのですな。
唄えば辛さも紛れる!

上記はキャラクターの台詞の引用です。
米作りは喜びに辿りつくまでが本当に長い。
一年後に確実に喜びに繋がるかは分からない。
喜びに繋がると、ただ信じて、賭けて、
この一年真剣に稲と向き合い続けているんですよね。
この感覚って自分も含め、現代人が忘れかけてるような気がするんですよね。
よい結果が出るか分からないものに、真剣に取り組むことって出来ますか?

現代日本でも川が氾濫して田畑が土砂に沈む光景など、
TVで見たことがあるかと思います。
あんなに手にかけて来た田畑がどうしようもない自然の力で、一瞬で消え去っていく。
手に掛けてきたのはこの一年だけのことじゃない。
先祖から受け継いで、育ててきた土壌を持つ田んぼ。つまり財産です。
それがあるときには一瞬で失われてしまう。

泣いても仕方ない。怒っても仕方ない。
ショックでどうしようもないけど、
人間の手には負えない自然のことだから「仕方ない」と、
「誰も悪くない」「ただ仕方ない」言葉を飲み込むしかない。
この自然相手だから仕方がない、というのは日本人独特の感覚だと聞きます。
自然災害の多い日本では、自然を整備する思考より、
自然を敬う思想や風習が今も根付いています。
受け入れるしかない苦しみというものがあることを、
心の隅に忘れずに置いておきたいと私は思っています。

泣いても、笑っても、悔やんでも、また米を作るしかない。
不平不満を言いたいけど、いっても仕方ないから、
「今年もまた唄に合わせて稲を植えよう」

そんな風にして出来た田植えの唄と思うと、つい号泣しました。

話は変わりますが、スタジオジブリ『もののけ姫』にも、
田植え唄ではないですが、作業をしながらする唄があります。

スタジオジブリ『もののけ姫』

ひとつふたつは 赤子も踏むが
みっつよっつは 鬼も泣く泣く
たたら女はこがねの情け
溶けて流れりゃ 刃に代わる

スタジオジブリ『もののけ姫』

「三日三晩(女だけで交替しながら火を絶やさぬよう)踏み抜くんだ」というセリフがありますが、
肉体的につらい作業をやりきるために、唄が必要だというのは感覚的に分かる話です。
唄は一体感を高めてくれるものです。

田植え唄はゲームのシステムとして別に要らないのかもしれませんが、
田植えは一人ではできない作業だと制作者さんが考えてるからこそ、
ちゃんとした唄を作り、ゲーム内で表現したのだと思います。
制作者さんの熱意を感じたりもして、勝手にうるっとしたりもしました。

それぞれの魅力と背景のあるキャラクター達

神様である主人公(プレイヤー)の他、
生活を共にするキャラクターは異国のシスター、不器用侍、手癖の悪い少年、謎の機織り少女、赤ん坊です。
6人の共同生活が始まり、それぞれの役割を見出していきます。
異国のシスター「ミルテ」は日々の食事担当、
不器用侍の「田右衛門」は稲作手伝い、
手癖の悪い少年「きんた」は農具作り、
謎の機織り少女「ゆい」は衣装作り、
赤ん坊「かいまる」は、いきもの係。
農具=武器、衣装=防具というのも、稲作アクションらしくていいですね!

彼らはゲーム冒頭のムービーの中で様々な理由で迫害された人々が
寄り集まってできた集団であることが示唆されています。
彼らの背景は徐々に、少しずつ、断片的に語られていきますが、
この記事を書いてる途中で10年目に突入したいぇんのゲーム中でも、
全員の背景は明かされていません。

話し言葉も大きく異なる彼らの考え方は、
夕餉(ゆうげ)の時間の会話の中でも鮮明に表れます。

侮れない。意外と奥深い問いかけが散りばめられている。

その中で考えさせられるテーマがちょいちょい投げかけられます。
赤ん坊のかいまるを、少女のゆいがぶん殴ったり、
失敗した田右衛門をきんたが「口減らしになるから死ねばいいのに(意訳)」というニュアンスで、強く謗る場面もあります。
子どももやるゲームにしてはなかなか酷な表現があるな?!と、
少しひやひやするシーンがあります。
実際の臨場感を味わってほしいの是非プレイして欲しいですが、
掻い摘んでお話します。

自堕落な主人公が苦渋を飲み成長していく

まず主人公サクナヒメの人となりが愛らしいです。
たくさんいる神様の一人ですが、
親の為した財のおかげで高い地位に甘えて自堕落に暮らしています。
はきはきと威勢はいいものの、振る舞いは偉そうで、
親友と呼ぶ努力家の少女からも、実はストレスだったと後に告白されます。

後に仲間となる人間たちの起こした騒動のせいで、
一番偉い神様に怒られて島流し&任務の勅命を受けることになるのですが、
びゃーびゃー泣いて嫌がります(笑)もう本当幼稚園生くらい(笑)
田右衛門の肩に担がれて強制連行されていく姿が、
ダメな子だけど、可愛いなと思えます。

また流された先の島で、稲作を行うわけですが、
自ら率先してやっていかなければならない状況です。
鬼がはびこる島では人間たちは自由に動けないので、
サクナヒメが外に出て鬼退治をして、素材や食料を採集してきて、
食わせるものを食わせてやって、自分の仕事である稲作の面倒を看て、
夜はパワーアップしている鬼たちに返り討ちにされる……。

稲作について何も知らないながらも、何とか最初の一年を乗り切るものの、実りは多くなく、白米はすぐになくなります。
粗末な食事、一品だけを囲む夕餉にフラストレーションが爆発したサクナヒメは、
「今年一年、お前らの言う通り頑張ったじゃないか!なのにどうしてこんな状況なのか。何にもよくなってないじゃないか!」と涙して訴えても、
「何もないよりましだろ」「頑張ってるのはお前だけじゃねえ」とすげなく返されて、べそかいて吹雪の外に飛び出ていきます。

言い分どれも正しく反論の余地はないのですが、
甘えん坊のサクナヒメからしたら、本当によく頑張ったんですよね!!
分かってあげて欲しい!(親ばか)

プレイヤーはゲームとして楽しくプレイ出来ますが、
サクナヒメの性格からすれば辛いこと、やりたくないことしかしてない一年だった筈です。
それでも一年やれば、お米も収穫出来てとりあえずは美味しいごはんが食べられると期待していたのに、出てきたのは質素な団子一皿のみ。
寝ずに働いて帰って来た大黒柱に、何日か前のコンビニ弁当が適当に出されたような印象で、
ちょっと待て!流石にもっとなんか優しくしてくれてもよくない!?!?
って気持ちになるのは理解できます。
しかし、それが精いっぱいの食事であり、現実なのです。

飛び出した先で、サクナヒメは「このまま人間たちをおいて島を離れてやる」と船を漕ぎだしますが、
暗い海ではどちらに向かえばいいかも分からず結局戻ってきます。
サクナヒメを探してやって来た仲間の呼び声も聞こえて、
観念して家に戻ることになります。

観念するしかない現実があるんですよね。
こんなに苦渋を飲む主人公ってあまり見ない気がします。
「敵が攻めてきて村が焼かれた!親が殺されたから敵を討つ!」とか、
ストーリーとして災難が降りかかるのは創作物としては分かりやすいものです。
しかし本作で主人公に苦難を与えるのは稲作なんです。
米作りにかける自分の努力、労力、期待、それらの行いに対する結果が収穫となって返ってくる。
逃げ出せるなら逃げ出したい、でも逃げられない。
稲作と向き合うしか道はない。
この報われるかは分からない稲作、忍耐の道に向かっていくサクナヒメを、
ちょっと尊敬の気持ちで見るようになります。
こんな一幕があったからこそ、
絶対いい米を作るぞ!!という気概が生まれます。

他人に優しくできる?

稲作や農耕、牧場ライフと聞くと、
現代人はどこかのほほんとした印象を抱くかもしれません。
ましてやゲームの中の生活であれば、失敗するのも可愛らしいイベント程度に捉えられるかもしれません。

でもこのゲームの中の稲作の失敗は「もう取り返しがつかない。来年、一年後に再チャレンジするしかない。」という深刻な失敗です。
『失敗=主食となる米が取れない=狩猟採集に頼る生活=食べられるとは限らない日々を送る』という意味合いになります。
食うにも困る、力も、寄る辺もないキャラクター達にとっては、
生死に関わる話です。へらへら出来ないんです。
実際ゲームではキャラクター達が死んだり弱ったりしていくわけではありませんが、そのような状況に陥ることが想像できます。

彼らが弱者のであるからこそ、一番か弱い赤ん坊のかいまるに優しく出来なかったり、他人の失敗を強く罵るのも理解できるのです。
特にきんたの近視眼的で短絡的な行動は、
現代の視点からすれば窘められて当然の行いも多いのですが、
そうしなきゃいけないだけの厳しい環境にあったことや、切羽詰まった思いを想像して、
「きんた……!いぇん(神様)が助けてやるからな……!」という思いを熱くし、日々稲作に熱を上げていく形に収まります。

神様とは?信仰とは?

異国のシスターミルテは外国から布教の旅をして日本(ゲーム中ではヤナトと言われています)で迫害された女性です。
ファンタジー名で語られますが、恐らく中国、インド、ドイツ当たりの情勢について語っています。
全てが語られるかはわかりませんが、
宗教の設定もしっかり為されてるみたいで、個人的には興味が尽きません。

神様のためなら死ねる!と言い切れる犠牲的精神から、
幸せにしてくださいと他力本願の神頼みの姿勢まで様々な宗教観が垣間見えます。
また主人公サクナヒメ自体が神様という設定でありながら、
こうも人間と隔てなく接していると、神様ってなんだ??という気分になっていきます。

ペットと家畜の境目とは?

敵である鬼(サクナヒメが戦って狩り、持ち帰って日々の食事として食べているもの)を、
怪我していて可哀そうだからという理由で匿うシーンがあります。
そこでは「とどめを刺すべきだ」と、
「怪我が治ったらすぐ追い出すから」と仲間内で意見が割れます。
「綺麗ごとだと分かっているけど……」と結局、
キャラクターを脅かす敵であり、また食材でもある存在の手当てをしながら過ごすことになります。

他にも夏の間、田んぼに放して害虫を食べてくれる可愛い合鴨も、
冬近くになって出番がなくなると
⇒「合鴨を食材にしますか?(食べますか?)」
⇒「野に放しますか?」

という予想してなかった選択肢を突き付けられて、
頭をガツンと殴られた心地です。
この合鴨を調達してくれたのは赤ん坊のかいまるであり、
かいまるのことを考えたらいぇんは一生合鴨を殺せません。

ペットと家畜。その差は何なのか。
誰しも一度は考えて、考えるのをやめた話だと思います。
綺麗ごとがまかり通るゲームの中で、
こうした視点を提供してくれるのはとてもありがたい機会だと思います。

家族?仲間?共同体?

話が少し前後しますが、結局この匿った鬼によって、
後々このキャラクター達共同体には致命的な危機が訪れます。
この選択をキャラクター達は各々が受け止めて、
その後を過ごしていくことになるのですが、
縁も所縁もない赤の他人であった彼らがこれを機に、
「同じ釜の飯を食う仲間」「共同体」「一緒に生きていく家族」に
変わっていくのを、
主人公を通してプレイヤーも感じることが出来るのではないかと思います。

致命的な危機、については触れませんが、本当ショックでめっちゃ泣きました。
これもまたどうすることも出来ないんですよね。
一年目と同じく、空の椀によそった苦渋を飲み干すことになります。
でも違うのは、他人だったキャラクター達が、
一致団結いたような心地がある点です。
本当の意味で仲間になったんだなと思えます。

このゲームはどこかに冒険の旅に出たわけでもない。
ひとところに留まりながら成長していきます。

日本のお米、日本の歴史ってそんな風だったんじゃないのかなと思います。
それがこの稲作ゲームの凄いところです。

我々はまだ米を2000回しか作ってないからね

ざっと以上です!
最後に見出しの文言ですが、
これはいつかTVで聞いた米農家さんの言葉です。
うろ覚えなのが申し訳ないですが。

自分達の米造りはまだまだいろいろとやる余地がある。
日本人が米を作り始めてから、まだ数千回しかチャレンジしてないんだから。

ずっと私の記憶に残っていた言葉です。
前向きと称するだけでは物足りない言葉です。
「人生で50回しかやってない」というと、
それは大して重要なことではないように聞こえますが、
「その1回をやりきるのに一年間、真剣に取り組み続けている」という背景を無視してはいけませんよね。

いぇんは東北出身で、お歳暮とか、節目節目のご挨拶だとか、お礼の品はちゃんとお返ししなきゃいけない!みたいなしきたりが残っています。
(そういう家だっただけかもしれません)
たまに米袋の50キロ新米が家に届くときもありました。
この新米が本当にうまい。

いぇん

えッ、なんかうま!甘っ!なにこれ!


「新米だからねー」と何気なく説明されましたが、
新米ってこんなにおいしいの!?!?とびっくりします。
香りが既に甘いですもんね。柔らかくて瑞々しくて。
うぅんお腹すいてきました。

米作り面白そう!程度の興味で始めたゲームで、
なかなかいろんなことを考えさせられました。
ストーリーも、米作りも、アクションも、なかなか美味でございました。
インディーズゲームということもあり、
普通のソフトより若干お安めなのもいいところです。
興味があった方は、迷いなく買ってみるのがいいと思います!

ABOUT ME
つきよの
昭和生まれのおひとりさま女性。人付き合い苦手、父親に殴られ男性不審、10年付き合った彼氏にお金を貸して破局、大学中退、うつ、社畜、不当解雇、といった経験を飯の種にして「自分に正直に生きる」をモットーにしています。人生いろいろありますよね。

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