日々の考えごと

【考察】大豆田とわ子と3人の元夫、優しい後味のドラマ

大豆田とわ子

感想を書き連ねます。ネタバレもあります。

親の不貞の可能性に揺れる主人公たち

最終回でまたなんだか人生色々あるよね、と考えさせられました。
最終回で亡き母の浮気相手、想い合っていた過去の人物に会いに行くと、
相手はまさかの女性でした。

風吹ジュンさんがコロッケ片手に玄関に表れたときに、ああこれはハッピーエンドだと予見しました。
コロッケはとわ子の亡き親友、かごめの象徴的アイテム。
とわ子の大事な親友。それに似た人を生前愛した母。
二人が仲良くなるのは必然と思えました。

コクリコ坂からにも近いシーンがある

「親の不貞の可能性に揺れる主人公」というシーンで思い出すのが、ジブリ映画の『コクリコ坂から』です。
主人公の海が実母に「死んだ父親に不貞があったのではないか」と問い詰めるシーンがあります。
海は幼いときに大好きな父親を亡くしましたが、10年以上経て成長しても大切に思っていました。
その父親に不貞があって、母の知らないところでもうけた子どもがいる可能性に言及します。
これは事実だったら海にとっては大変恐ろしいことです。
父親への気持ちが裏切られることになります。
結果的にそれは母の口からまっすぐに否定されることになり、事実もその後明るみになります。
海は母が真っ直ぐに否定してくれるまで、不安で不安で仕方なかった。
「私が大事にしていた父は、私が美化していただけの存在だったのか。」
「父は私を大切に思っていてくれたのではなかったのか。」
「父にとって私はなんだったのか。」
コクリコ坂からで一番好きなシーンですので、気になる方はぜひ観て欲しいです。

とわ子もまた母親の不貞の可能性に揺れ、救われる

とわ子も同様に「親の不貞の可能性に揺れる主人公」でした。
とわ子の父は、とわ子が自転車を乗るくらいの年齢の頃に、家に寄り付かなくなりました。
原因ははっきりとは描かれていません。
その後はとわ子と母は二人で暮らしてきたわけです。
とわ子にとって親とは母のことだったでしょう。
ドラマ冒頭の母親の骨壷を仕舞いたくないと間を伸ばそうとしている場面からも、
母と別れるのは惜しいという思いが強く描かれています。
また父親に「お母さんを幸せにできなかったこと、どう思ってるの?」と詰問します。
気持ちの面でも母の味方でした。

その母に、不貞の可能性が最終回にして現れるのです。
夫や娘の世話に追われる人生を悔いるかのような手紙の中の文章に、
娘であるとわ子はショックでしかありません。
「私が大事に思っていた母。母も同じ気持ちだと思っていたのに」
「本当は私や父親よりも、大事にしたい人がいた」
「私や父親は、母の人生にとって足枷や重荷に過ぎなかったのか」

信頼が崩壊する一歩手前。
疑念や不安、恐怖を、母の想い人であった真が救ってくれます。
「あぁごめん、あなた不安だったんだよね。」
「大丈夫。つき子はあなたを愛していた。夫のことも。」
(昔話に意気揚々としかけた自分を諌めた、まーの演技にめっちゃぎゅううっときました)

そして、みんなまとめて許すしかない

とわ子の世代では【とわ子⇔八作→かごめ】、
つき子の世代では【父親⇔つき子→まー】という似た構図があったことが判明します。
八作の想い人がかごめであったときの喪失感ややりきれなさをとわ子は感じました。
愛したひとに愛されない、愛した人は別の方向を観ている、
そんな切なさを父親も抱いていた可能性に触れます。
「父親してもらった記憶なんて無いんですけど」と悪態をつきましたが、
父をどこか許せる気持ちも芽生えたやもしれません。

つき子を断罪すればそれは、八作を責めることになり、
父親を責めればそれは、とわ子自身を責めることになり、
まーを責めればそれは、かごめを責めることになる。

それって、どうしようもないことだよね。
どうしようもなかったことだよね。と、とわ子は腑に落としたと思うのですよね。

長い年月を経て明るみに出たこと。
今更ほじくり返したり、角を立てることはもうしない。

生々しさのない童話のような夫婦像、
しかしテーマは深い

とわ子自身は恋愛体質というか、新しい出会いや恋愛を歓迎しているムード。
新しい恋や結婚に対して抵抗感を示している様子はない。
ただあのこざっぱりとした感じは松たか子さんの演技由来な感じがします。

三度の結婚生活の片鱗が描かれますが、男女の肉欲的な描写はなし。
とわ子自身に関してはキスシーンすらなく、挨拶のハグや膝枕くらいしか親密な描写はなかった記憶です。
八作との間にできた子どもの存在が唯一男女の関係を想起させますが、
詩ちゃん自身がさばさばこざっぱりとしています。
複数の父と軽やかな関係を築き、自立している姿を見せていて、
男女の間の未練がましいもの、ドロドロとした憎愛、肉欲のようなものを
求めていたのは自分の方だったなと省みた次第です。

個人的にお互いを熱く見つめ合ってるだけの恋愛ドラマはつまらないと思っていますが、
今回のドラマは、そういう「お互いを熱く見つめ合った後」を描いているのだなあと思いました。
そして人生は長く「見つめ合った後」は何度も何度も訪れます。
恋愛、結婚、離婚、再婚、浮気、再会、別離、未練……いろんな視点に立てるこのドラマはとても魅力的でした。

音でロマンスを、チャーミングさを表現

ナレーションは伊藤沙莉ちゃん。
可愛らしくて代わりのいないハスキーボイスが物語の導入に流れる。
ナレーションがあると耳で情報を理解ししようと努めるから、
その間の映像は風景画のように美しい情報になる。

STUTS & 松たか子 with 3exes – Presence I feat. KID FRESINO (Official Music Video)

エンディングの歌も素敵でしたね。
毎回映像内容が違うのでエンディングまでしっかりと見届けてしまいました。
元夫たちやとわ子が歌っているシーンも違和感なくて好きです。
わざとらしくもなくて素敵な映像。

絵になる生活、不足しているものはないけれど

画面も色味が調整されていて素敵でした。
黒髪がやや青みがかっているのがよく惹きつけられました。
とわ子の衣食住は豊かな色彩で溢れていて絵になります。
夫の姿がないけれどもそんなことは大した問題ではないように感じられます。
満ち足りた生活があるようで、それ以上何を望むのか?とも言えそうな空間。羨ましいです。

でもお風呂が壊れたり、インターフォンが壊れたり、網戸がしょっちゅう外れたり。
些細なこと。本当に些細な躓きに、誰か一緒に立ち向かって欲しいという気持ちもわかります。

とわ子とかごめと八作と

最大の修羅場といえるシーンが、
八作の想い人がかごめだと理解してしまったシーン。
ドラマ最大の不穏な気配に、観ている側も胸がぎゅむむとなります。
ブチギレたり罵り合ったりすることになるのかと思いきや、
かごめの急逝により、残されたとわ子と八作の胸にはぽっかりと穴が。

とわ子とかごめと八作と。
それぞれがそれぞれに、問い詰めたり罵り合ったりすることもできず、
文句を言うこともできず、謝ることもできず、
もう居なくなってしまった人を悪くいうこともできず、
ただただぽかんと一年の時間が経過する。

なにか言いたいのに、何も言えない。
言いたい人がいない。何も言えない。

とわ子に関しては裏切りのような感情もよぎるだろうし、
しかし親友を失った悲しみも途切れることがなく。
その気持を元夫たちではなく、
赤の他人であった小鳥遊が聞き届けてくれたことでとわ子は救われました。
よかった。(涙)

そして同じくかごめロスのショックから抜け出せない八作ですが、
八作の方からとわ子に「恋愛して、結婚してよかった。ありがとう。」という趣旨のことを告げます。
1年の間に色々なことを考えただろうけれど、とわ子に対して、一番伝えるべきメッセージがそれだと。
八作、わかってる…(涙)
とわ子も同じように応答します。
恨み言ももう言うまい。

確かなのは、二人が大事に思っていた人がいた事。
これからも大事にしていこうという、未来への約束。
そして二人の結婚生活も、たしかに幸せであった、そのことへの感謝。
そのことだけをぎゅうううっと凝縮した台詞。
思い出し泣きしちゃいます。

でもみんな良い夫だったよね

結果的にみんないい夫だったよね。笑
シーズン呼ばわりされてるのがとてもおもしろかった。
詩ちゃんがそう言ってくれるから、夫もなんだか気がラクだったよね。

このドラマの性別逆転バージョンで話しは作れるのかなって、一瞬想像して思い出したのが、
おかざき真里のバスルーム寓話。(これがデビュー作だったの初めて知った)
短編集なんですが、確かこの中に収録されていた記憶…。

一人の死んだ男、それに関わった4人の女性が集う。
4人のそれぞれの男と過ごした時間の記憶をつなぎ合わせると、
その男の生涯がたち現れて、みんなでお別れを言って見送るというお話。

逆転、大豆田とわ子……ではないか。
でもこちらの作品も良きです。

ABOUT ME
つきよの
昭和生まれのおひとりさま女性。人付き合い苦手、父親に殴られ男性不審、10年付き合った彼氏にお金を貸して破局、大学中退、うつ、社畜、不当解雇、といった経験を飯の種にして「自分に正直に生きる」をモットーにしています。人生いろいろありますよね。

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