日々の考えごと

コロナに罹りまして。社会復帰編

2021年、9月上旬。
背中に小さな違和感を感じたのが最初、数日後に悪寒に発熱。
病院で鼻腔から採取した検体で陽性反応。
その後は自宅、ホテルで療養し、結局入院へ。
約2週間のベッド上生活を経て、いぇんが得たものとは?

治療費は0円。まじで??

朝ごはんを完食し、バッグの底にあった最後のきれいな服に着替えて、荷物をまとめます。
退院間際にもまた書類をいくつかもらいます。
診療費の領収書、診療明細書、退院証明書などが重要書類かと思います。

請求金額は……0円

「コロナは国が指定した感染症のため、治療費はありません」という説明でした。
こんな一生懸命治療してもらって0円なん……??と呆然としてしまいました。
ありがたいとしか言いようがないです。

エレベーターまで見送ってもらい、そこからはいつもの日常生活の景色に戻りました。
コンビニで買ってもらった水と歯ブラシの精算を済ませ、
病院に巡回に来るタクシーをつかまえて帰路につきます。

ワクチンは退院してから2ヶ月後以降で

退院日、ワクチンについて看護師さんに尋ねましたが、
看護師さんもどこかあっけらかんと
「ほらもう、国がなんていうかわからないじゃないですか?」
「状況は変わるかもしれないけど、退院してから2ヶ月はワクチンは打たないでくださいね」とのこと。
お一人の看護師さんのセリフでしかないですが、
なんだかいろんなことに振り回されてる感が滲む、実感のこもったセリフでした。

現状私は抗体を持ってるはずなので、2ヶ月くらいは保つと信じたい。

ちなみに病院のお墨付きを得て退院したわけですが、
PCR検査、抗原検査などをして退院をしたわけではないんですよね。
症状が見られなくなってから3日が経過したので退院。
……いいんだよね?ほんとにいいんだよね??

後遺症らしきもの。私の場合

コロナの後遺症らしきものについて記録しておきます。

  • 味覚障害(水が甘く感じるくらいしか気づきませんでした)
    →退院から数日で元通り
  • 夜7時位になるとなんだか汗が出る
    →夜になる不意に発汗します。
     コロナ関係あるかわかりませんが…今まではそんなことなかったので。
  • 体力の衰え、大きな声が出ない
    →2週間後には問題ないレベルに。
  • 今までと少し違う咳
    →痰の絡む咳が極稀に。まだ肺活量が戻ってないのか痰が吐き出せません。
    →あと空咳がたまに。一度出始めると続いてしまい、周囲を心配させてしまいます。

それくらいですね。

退院して、約2週間ぶりの自宅へ。

自宅から、ホテル、病院へと持ち込み、
一切数が減らなかったウィダーインゼリーが重しとなって、ひ弱な身体に鞭打ってきます。
本当に途中どこかのゴミ箱に捨てていこうかと悩みましたが……。
良心が咎めたので渋々持ち帰りました。

ただいま自宅!
私のせいで濃厚接触者認定を受けて、
仕事を2週間休まざるを得なかった母親と再会です。
とはいえ母親は母親で用事があったり、やることがあるわけで。
感動的に迎えてくれるわけじゃありません。笑

家に帰ってまず床に寝そべってまずはダラダラ。
久しぶりの我が家。なんて美しいんだろう。清々しい秋の風が入る。平日の静けさ。
今日のために片付けてくれた家族にも感謝。安心感に包まれる。
好き勝手開けていい冷蔵庫。先着していた納豆に涎がじゅるり。

「早速納豆を!」と行きたいところでしたが、まずは風呂です。
なんてったってホテル療養中から風呂入ってませんからね。
納豆以上の何かを醸しているに違いない。そういうわけでお風呂へ。

脚が細くなったと喜んでいましたが、全裸になると骨盤も背骨も肋骨も浮いてました。
流石にちょっと不気味さを感じました。
しかし私にはもう十分な食欲がある!いずれ肉付きとなって戻ってくるだろう!
おおらなか気持ちで、泡立たないシャンプーを何度か繰り返しました。

家の中の階段移動も堪えます。
手摺に縋りながら上がっていく様は、同居する祖父と同じくらいのスピード感。
それなりに早歩きで移動するのが得意でしたが、
全く都会の波に乗れません。階段は特にきついです。
手すりに縋り付いて体を引っ張り上げないと登れませんでした。

それから何より声が出ません。
自宅を出てから必要最低限しか喋ることはありませんでした。
会話をするための思考回路も、肺活量も低下していました。
いつもの距離感では声が届かないため家族と物理的に距離を縮めないと会話できませんでした。

とはいえ家族には心配を掛けました。

やはり入院したとなると、家族へ与える不安は大きかったみたいです。
今は別の所で暮らしている兄弟もコロナに罹りましたが、
自宅療養でついでに医療従事者なのでさほど心配には思っていませんでした。

しかし入院となるとやはりインパクトがあるようで、
実際同年代の基礎疾患のない人が亡くなったりしている中、
他人事ではないと家族は思っていたようでした。
むしろ当事者である私のほうが、そんな心配大げさでしょうと高をくくっていた節があります。
「もう遺骨になって帰ってくるのかと思った」と告げられたときは少し反省しました。

コロナに罹って治して得たものは

ゆっくり歩こう、人生も

下半身の筋力がめっきり落ちたため、今までと同じスピードで歩くことができません。
早歩きも厳しい。ちょっと小走り!も無理です。
少し離れた電話を取りに走る!とかが無理です。

退院して3日後に復職が決まっていたので、家で休める間になるべく近場を歩くことにしました。
YouTubeのおかげで食欲だけは余っているので、
「何かを食べにいく!」を目的にして、外を歩きました。

ゆっくり、ゆっくりマイペース歩きます。
駅の中では端を歩いて、早い流れには混ざらないよう気をつけました。
信号も渡るのにとても時間がかかります。
すでに青になってる横断歩道は渡らないようにしました。
渡りきれないかもしれないし、途中で点滅し始めても途中で走れないし。
もう周りのスピードに合わせず、自分のペースを中心に据えて動くしかない。疲れるし。
疲れたらよりゆっくり動こう。無理が実際出来ないのだから。と、ある意味開き直りました。

そこでふとホテル療養中に仕事に追われる悪夢に見舞われたことを思い出しました。
今までの私は追われるようにして歩いていたのかもなあと。
あるいは課題に飛びつくようにして急いでいたのかもなあと。
そうしなければならない。私にはまだ足りないものが多い。
そんな気持ちがそうさせていました。

ひとはそんな態度を真面目だ、勤勉だ、責任感があると言ってくれるので、
間違ったことはしてないつもりでした。
でもなんだかゆっくり歩き、ゆっくり呼吸し、ゆっくり仕事しようと思いました。
無理なものは無理だと言って断ろうと決めました。
楽な道を選んでは行けないとおもっていましたが、辛いもんは辛い。
楽な道を平然と選ぼうと思いました。

これからどうやって生きていこうかなということを考えたり

入院中に読んだ本がこちらです。
成長を前提とした資本主義の社会からの方向転換を訴えています。

こちらの感想もいつかブログに書きたいと思います。
何に追われて、焦って生きているんだろうと、しみじみと思ってしまいました。
病室から1週間と見続けた窓の外はいつも明るく晴れていて、
なんにも変わらずそこにありました。
なんだかそれだけで満足な気持ちにもなったりして。

ごはんって本当においしいね

病院食も美味しかったですが、
自宅で作るようになった納豆チャーハンが美味しくて幸せです。
毎日ご飯を食べると満足感がすごくあります。
「美味しいー!」「うまい!」「あー幸せ!」って毎日言ってます。
ご飯って本当に美味しい。

毎日美味しいご飯をお腹いっぱいに食べられることを幸せに思うようになりました。

終わりに

さて、コロナで日常から離れた約2週間でした。
自宅療養編ホテル療養編病院編、社会復帰編とお読みいただきありがとうございました。
あくまで私の経験だけの記事ではありますが、
ご質問とかありましたら、Twitterかブログへのコメントでお願いします。
記憶が薄れぬうちに回答いたします!

同年代でも亡くなった方がいる。
その人との違いはなんだったのかと思うと、生きてることが奇跡のように思えます。
皆様もご自愛くださいませ!

ABOUT ME
つきよの
昭和生まれのおひとりさま女性。人付き合い苦手、父親に殴られ男性不審、10年付き合った彼氏にお金を貸して破局、大学中退、うつ、社畜、不当解雇、といった経験を飯の種にして「自分に正直に生きる」をモットーにしています。人生いろいろありますよね。

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