作品感想&紹介

giveは利己的?

こんにちは、いぇんです。
本棚に入ってるもののご紹介「ぶらっと、本棚シリーズ」2回目。

著:中島岳志, 著:若松英輔, 著:國分功一郎, 著:磯崎憲一郎, 編集:伊藤亜紗
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この本の目当てはイケメンの國分功一郎先生

なぜこの本を手に取ったのか。
下心ですみません。共著の一人である國分功一郎先生がイケメンで好きなんです。
國分功一郎先生といえば、いつぞやの名著、暇と退屈の倫理学の先生でもあります。

文庫本になっています。

著:國分功一郎
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産業革命期の有閑階級の催しの風景の中で、贅の限りが尽くされた宴会にて。
参加者である貴族は退屈を募らせている。
振る舞われている食事、室内の誂え、最新のファッション。
どれも深ぼれば話題に事欠かない情報過多な宴会は、先が読めて退屈だった。
お金を得て手に入れたのは退屈だったのか?
僕たち私たちには、こんな世界をどうやって生きていればいいんだろう?

という内容です。私の解釈では。

利他ってなにかしら?引用と紹介

中島岳志氏、國分功一郎氏、若松英輔氏、磯崎憲一郎氏、伊藤亜紗氏5人の共著で、
利他とはなんなのか、それぞれ論じられています。
一人20P程の量なので飽きずに読めると思います。
ケアの現場から、インドでの出来事から、民藝品から。
さまざまな視点から利他について考えます。引用しながらご紹介。

魚の釣り方を教えること

ハリファックスは、「真の利他性は、魚の釣り方を教えること」だと言います。魚を分け与えても、放っておけばすぐにまた空腹になってしまう。それでは利他にはならず、悪しき依存を生み出すだけです。

利他とは何か 第一章 P35

端的に物質や情報、パッケージを渡して、その場を解決してあげることが利他ではないということです。

胸の内にふと湧いて出たもの、それが受け取ったもの

やはり人間の意志によって全ての行為が行われているということについては、疑う必要があります。
ヒンディー語では、「私はうれしい」というのは、「私にうれしさがやってきてとどまっている」という言い方をします。(中略)「私に」何々がやってくるというのは、不可抗力によって私に何かが生じているという表象のときに使います。

利他とは何か 第二章 P102

giveしてあげる!というというのは自分の意志で行っているかのようです。
しかしそもそもgiveは受け取る人あってのものです。
相手の意志を汲み取らないで与えるのはなんだか違うと思いませんか?
例えば誰かを好きになることについて、
【合理的判断で好きになり、好きゆえの行為をgiveしていく】という流れではなく、
【好きという気持ちがどこからか流れ込んで胸を支配し、giveのような行為となって外側へ溢れていく】、というのが私もしっくりくる解釈だなと思います。

自分の全部をゆだねてこそ、真の利他性

民藝の器には主張するべき「我」がないからです。そして、どのように用いられるかを、自分以外の存在、すなわち人にゆだねているからでもある。

利他とは何か 第三章 P122

これはかなりグッとくる文章でした。
利他的行為、give的行為が行われたとき、そこに我があってはならないという話から、上記の引用につながります。
恣意的、作為的な支援は利己的な行いにすぎない。
この第三章では民藝品について触れられています。
物が私たちする行いこそが、利他的であるといいます。
民藝品はほとんどが手作業で作られた一つきりの道具です。
ただそこに存在し、好きなように使われることを待っている。
私たちはその物を用い、手入れしたり飾ったりするなど、物を大切に扱っているのであれば、
その行為こそが利他の完成形とも言える光景なのかもしれません。
己の用いられ方を完全に他者に委ね、それを大事に扱うという形で返礼する。
非常に美しい姿だなと感じます。

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余談ですがこちらの本もおすすめです。SF小説です。
少女と万能のネズミの物語です。
諸々の科学技術の結晶であり、どんな武器にも、機材にも変形できるネズミ。
意志をもち、主人公の少女と常にあります。
ネズミは、己の有用性を証明し続けることが生存理由です。
少女はやがてその万能機能を省いた、ネズミの存在そのものを愛することになり、
互いを慈しみ合う美しい関係になります。
これって利他的な構図と言えるのでは無いかなと、振り返って感じました。

利他とは「他人の存在をぼんやりと常に知覚してる状態、自分を拡張している感じ」

巷では give & takeの言葉が一人歩きして、
「自分もgiveできる人間でありたい!」と高らかに宣言している人をお見かけする。
でもgiveとは数えられるもの、常に同質のものではないし、
偶発的なものであり、即効性もない。
人の意志で制御できるものでもないと考えています。
だって受け取るのは自分の範囲を超えた他人なのだから。
なのでこの言葉は他人を慮っているようでいて、利己的な性質があるように感じます。

私のイメージでは人それぞれは湧き水で、じわじわと広く薄く拡張されていく感じ。
他人の湧き水に触れて交わることもあり、それが呼水となって新たな水が湧き出すような祝福も稀に起きたりする。
他人に自分という水を分け与えてあげよう!と勢い勇んで広がって飛び込んでいくのは、
やや作為的であり、
この本のなかの言葉を借りれば、本物ではないと言えると思います。

他人も自分の一部であり、自分も他人の一部である。
与え合う、受け取り合うことは波のように常に揺らぐ運動のようなものだと思います。
どういうエネルギーになって自分に返ってくるか、
受け渡したものがどんなエネルギーに変換されて相手の元へ届くのか。
簡単には想像がつかない。ゆえに人と他人とをそんなにはっきりと区別せずに、
自分とも他人とも緩やかにつながろうとする、
それが私が考える利他の一歩かなと思います。

ABOUT ME
つきよの
昭和生まれのおひとりさま女性。人付き合い苦手、父親に殴られ男性不審、10年付き合った彼氏にお金を貸して破局、大学中退、うつ、社畜、不当解雇、といった経験を飯の種にして「自分に正直に生きる」をモットーにしています。人生いろいろありますよね。

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