作品感想&紹介

『阿・吽』第三巻レビュー【最澄と空海の意が交わる第三巻。祝!タイトル回収】

こんにちは、いぇんです。
本棚にあるものを紹介する、「ぶらっと、本棚シリーズ」です。
おかざき真里先生の漫画『阿・吽』第三巻レビューです。

おかざき先生自身の紹介は下記の記事もご覧下さい!

おかざき真里先生の描く、最澄と空海。女性の感覚で描き出す真理の世界。漫画『阿・吽』1巻レビュー女性漫画家が描く最澄と空海。阿吽の第一巻レビューです。 同世代を生き、交わった二人の青年の阿吽を描き出します。 女性の感覚から捉える真理の世界を、繊細な線と間から感じ取る作品です。...
著:おかざき真里, その他:阿吽社
¥693 (2022/07/03 21:37時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント5倍セール!/
楽天市場
\ポイント5%還元!/
Yahooショッピング

第十二話 けものへん

前回までの最澄サイドのお話は置いておいて今回からは真魚(空海)のお話です。
勤操和尚の元で学ぶ真魚は、「身体の存在を忘れがち」だと評されています。
目に見えないものを突き止めようとする探究心のあまり、
思考が暴走し現実に戻ってこれなくなる。
その得体の知れない力に、周りの僧侶たちも警戒したり魅かれていきます。
真魚に対して危険な修行である「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」という、技名みたいな修行法を提案します。

第十三話 胎内

四国の海を眺める穴に籠り修行を開始する真魚。
甥であり愛弟子の一人となる智泉(ちせん)が、勤操和尚の命令で修行に同行します。
しかし万一真魚が外道に堕ちた時には、と小刀を持たせていました。
修行の内容は下記のようなもの。

虚空蔵求聞持法とは決められた作法に則って虚空蔵菩薩の真言
「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を
1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法です。

一日中堂に籠って真言を唱え続け、しかもその数を数えながら唱え続けるのですから、とにかく集中することが大切なのですが、悪魔や睡魔が次々と襲い掛かるのを振り切りながらの修行では、途中で数が分からなくなってしまってやり直すこともあるのです。

この修行法を成満した者はあらゆる経典を瞬時に理解して記憶する能力が得られるという修行法ですが、成満することが大変に困難で、一歩間違えば発狂、死と隣り合わせの荒行です。

虚空蔵求聞持法は何が起こっても途中で絶対に止めてはいけないという荒行で、常に短刀を準備しておいて、止めるのなら切腹という覚悟が必要なのですから、挑戦したけれど廃人になってしまったということもあるのです。

高野山真言宗やすらか庵

即効で気が狂うタイプの修行です!
一つ唱えるごとに数珠をひとつ数え、小石を積み重ねて数を数える。
一つの狂いもないように集中を切らすことを許さない修行。
意識でも落として数え間違えたのなら最初からやり直し。
瞳に危険な色が宿っていく真魚。

おかざき先生の怒涛の描き込みが生きてくる場面です。
挿絵のように、無限に積み上げ続けられる小石、言葉。
深さ、遠さを演出するおかざき先生の力量。
それに飲まれまいとする真魚とのせめぎ合いを感じます。

第十四話 空と海と

危険な修行の中でぐらつく真魚。智泉の首を絞めて襲い掛かります。
「外道に落ちたその時にはーー」
智泉は任されていた役目を全うするため小刀に手を伸ばしますが、寸でのところで踏みとどまる二人。
発狂寸前でやり遂げた真魚が見た世界が、このコマです。

どのコマを紹介すべきか、迷いに迷う第十四話です。
見開きのこの得体の知れない世界観、ぜひご堪能いただきたいです。
よくわからない生き物たちの姿、何か見覚えがあるようで何も知らない。
名前があるもののようにも感じる。
誰が見たものかもわからない、完全にイメージの世界です。
形容し難いものがそこにはある。

しかしこれは完全に脳の中のイメージの世界。
身体のことを忘れてしまう真魚はこのままではイメージの世界に落ちてしまう。
飛びかかる意識を必死に呼び戻したのが、智泉でした。

第十五話 丹生の里・その一

危険な修行から智泉と共に戻ってきた真魚ですが、深淵を求めるためにすぐさま次の修行へ。
置いて行かれてしまった智泉が半ベソなのが可愛いです。

山中を歩く中、真魚はにうつと呼ばれるツチグモ一族の酋長的な存在である女性に認められ、
集落に出入りするようになります。
そこでは唐の言葉が使われ、水銀の生成のほか、土木、建築、灌漑など、
大陸の技術と知識を持つ人々がより集まって暮らしていました。
聡明で人を巻き込む才能のある真魚は難なく彼らと馴染み仲良くなっていきます。

美しいにうつは真魚の負った毒傷を舐めて癒すなど、人間ではないもの何ものかです。
真魚を食おうかと思ったというにうつに対しするリアクションが上記のコマです。
若くも底知れない真魚ににうつは笑います。

第十六話 丹生の里・その二

にうつと狩場明神(犬神?)の守る山の財を狙う徒党が現れます。
作中詳しい説明はありませんが、秦(はた)氏という中国や朝鮮半島からの渡来人が帰化した人々のようです。
同じように大陸の知識や技術を持つものの、世俗の生活は貧しいため
にうつの里にある資源やにうつ自身を奪い、それで金を稼ぎ、家族を食わせようという魂胆です。
真魚が仲良くした里の者の多くも殺されて、
にうつは自らの片腕を断ち落として秦氏に投げ与えて徒党を満足させて里から追い出します。
(恐らくその腕は薬などと称して金にするのだろうと。そして腕はまた生えてきます。)

にうつの力があればただの人間を排除するなど容易いことなのに、
それをしないにうつと真魚の問答が続きます。
長く長く生きるにうつには、人間の短い生の繰り返しに付き合ううちに、
生きている目的や意味を見出せなくなっていきました。
どんな悪人にも善人にも家族があり、命がある。そしていつか勝手に死んでいく。
行いがどうであれ、にうつの前には等しく儚く死んでいく命。
ここでは終わりのないもの、長くいきる苦しみがあります。

その途方もない繰り返しを生きる中で、真魚が「近い将来この山も里も自分が面倒をみる」と約束し、にうつの心は少しだけ救われます。

第十七話 阿吽【タイトル回収!】

※それでも二人はまだ出会っていません※
山で修行に暮れる最澄の元に、帝のそばに着く僧の職に着くようにと説得する和気清麻呂。
にうつの里での生活に心血を注ぐ空海の元に、寺に入るよう説得しにきた智泉。
それぞれがそれぞれの相手に、提案は受けないと断ります。
この国でできることは学び尽くした。だから海を渡る。
と場所を超えて同時に決意した瞬間がこのコマです。
もう自然とその選択肢しか残っていない、二人の呼吸が重なってでた阿吽です。

阿吽は古代サンスクリットの梵字。
口を大きく開いたa(阿)から始まり、口を完全に閉じたm(hūṃ、吽)で終わっており、そこから「阿吽」は宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされた。
宇宙のほかにも、a(阿)を真実や求道心に、m(hūṃ、吽)を智慧や涅槃にたとえる場合もある。

Wikipedia

第三巻 まとめ

ようやっと、タイトル回収できました!
これからやっと二人の物語が始まります!(すぐに出会ってどうこうではないですけど…)
二人は大陸へ渡ることを同時期に決めます。
当時は行くことも帰ってくることも困難な時代です。
死ぬ可能性が高い旅に、二人は目を輝かせます。
二人とも仏教に取り憑かれてはいますが、
世界に等しくある命の中から真理を掴み取ろうとする最澄と、
世界に等しくある死の中から真理を掴み取ろうとする空海。

そのアプローチは全く違います。
ここまでの二人の物語を見て、皆さんはどちらに感情移入しますか?

ちなみに私は最澄の方が好きです…。
(頑なで、不器用で、融通が効かないところに感情移入しまくりです…)

そして今回出てきたにうつ様は美しい女性(のような何か)です。
細い線に、長い髪!おかざき先生の本領発揮です!
表紙や中表紙のカラーは鳥や竜、着物の柄、布のひらひらで飾られて、うっとりするほどロマンチックです。綺麗です。
そしてこの余白、描き込み密度のコントラストにググッと引き込まれてしまいます。

おまけの、イケオジ和気清麻呂です。
飄々としたやり手のおじさんです。

ABOUT ME
つきよの
昭和生まれのおひとりさま女性。人付き合い苦手、父親に殴られ男性不審、10年付き合った彼氏にお金を貸して破局、大学中退、うつ、社畜、不当解雇、といった経験を飯の種にして「自分に正直に生きる」をモットーにしています。人生いろいろありますよね。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA